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ソフィア、ブルガリアのホテル

ブルガリアのページ

KEMPINKSI HOTEL ZOGRAFSKI

100 JAMES BOURCHIER BOULEVARD
1407 SOFIA
Telephone: +359 - 2 - 62518
Fax: +359 - 2 - 4921232

元々は日本政府が援助した融資で建設されたホテル、ビトーシャホテルという名称だった。私がチェックインしたときの名称はインターコンチネンタルホテルだったが、途中でこの名前になった。ブルガリアからの移民でドイツで成功したザグロフスキーさんが買収したという噂だった。

 市の中心部よりはやや離れた場所にある。ビトーシャ山の麓がよく見渡せる。ホテルの近くからはトラムで市の中心部まで容易に行ける。

当時はブルガリアの通貨レバが対ドルで急激な下落状態にあったので、ホテルの支払いはドル建てだった。レバで支払えるものは食費や交通費などだったが、1996年から97年にかけての年末年始はこのホテルで過ごした。普段でさえ賑わいのあるホテルではないのだが、年末年始は若干の観光客が目に付いたが概ね換算としていた。

このホテルの電話交換機はインターネットに繋げないシステムだったので、わざわざビジネスセンターの回線を利用して繋いでいた。ここが6時にしまるので、五つ星ホテルにしてはまったく不便だった。それもあって、アパートか他のホテルに移ろうと考え出していた。

Dec 1996

Gloria Palace Hotel, Aug.-Sep. 1997

2回目のソフィア出張でこのホテルに泊まった。最初は上記のザグロフスキーに泊まっていた。ブルガリ経済が疲弊し、レバの下落が一向に止まらないのとに関連しインフレ率が年間200%を越えていた状況の真っ只中だった。

よってなるべく宿泊場所はバラバラにならないようにとのお達し(詭弁だと思うが)があった。そんな時運良くというか、ブルガリアでVISAを扱っている農業銀行が倒産し、一時VISAが使えなくなった。このままいては現金の持ち合わせもなくVISAでの支払いができないのでと言う名目でこのホテルに移った。実際、ホテル側は日本へ帰国してから送金してくれればよいといっていたが、送金手数料とかどうするの?その他、使えたクレジットカードは、AMEXそしてJCBだった。

ここは旧市街地区に新しく開業したこじんまりとしたホテル。ここから事務所へは徒歩で10分程度。イスラム寺院、グム百貨店、大蔵省、旧共産党本部など街の様子を毎日眺めながらの楽しい通勤だった。

部屋は、上記ホテルより少し狭い程度、差ほど違和感は感じなかった。ホテルを移る前に電話線のことを確認しておいたので、チェックインのときにアダプターを用意しくれていた。これには助かった。

部屋の目の前はソフィア駅からビトーシャへ伸びる道路。そしてトラムの路線があった。両側の建物が迫っているので、トラムが通過すると走行音が響いたが、これはヨーロッパの都心特有なことだと思って諦めた。

朝食はブッフェスタイルであったが差ほど選択肢が多きわけではなかった。しかし、ブルガリアヨーグルトたっぷりのとあり、毎日シリアルボールに一杯とってジャムやバナナと一緒に食べた。

Hotel Bourgas, Sep. 1997

 

黒海沿岸の都市ブルガスのホテル、共産主義時代はホテルが所在する地名が付いているホテルが最高級とされたが・・・。

ホテルの窓から黒海が望めた。日が傾き始めた9月のブルガス、黒海の青い海とオレンジ色の屋根と白い壁のブルガスの街、なかなかのコントラストだった。

ホテル自体は共産主義スタンダードで機能的、丁度、日本のツアーがこのホテルに泊まっていた。ツアーのタイトルは”郷愁のルーマニアとブルガリア”だった。なぜ郷愁なのかわからないけど、美しい田舎の雰囲気がそう連想させたのだろうか。